相生市は古代から栄えていたのだ!

by denpatu

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長年、相生の旭大橋のあたりを通る時「あの地蔵さんの群れは何やろ?」と
ずーっと思ってました。
最近、頂いた本に「唯然地蔵」と載っていたのでやっと長年の謎が解けました。
以下、「相生ふるさと散歩」より。

 旭5丁目  孫七山山麓に地蔵尊が祀られている。明治の終わりごろ通行の安全を祈願して、
全国四万八千体の地蔵建立の運動が高まり、相生の浜本氏の尽力で五体が造られ、その一体が
昭和三年この地に安置された。五六四三の番号が付されている。残り四体は相生小学校入り口、
親盛寺境内、葛ヶ浜、境橋ふもと(現在不明)に建てられている。

18年ほど前の本なので残り4体が今もその場所に在るか分かりませんが。
しかし、由緒が全国交通安全祈願運動に賛同して個人が建てた物だったとは!
丁度、昭和初期は相生にも電気が引かれ、自動車も増えだした時期だったみたいなので
ナイスタイミングな建立だったわけですね!
これからも相生市の交通の安全を見守ってください。ナムナム。
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ここを建てた時から管理されている家の方の知り合いの人からの又聞きによると
日によって、お地蔵さんの数が増えたり減ったりしてる事があるそうです。
何だろ?預けたり、持って帰ったり???

もう一つ分かったこと、この唯然地蔵さんのいる場所が孫七山だと言う事。
むか~し昔はこの裏は山で、すぐそこは海だったのね。
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by denpatu | 2010-07-31 23:53 | 相生市の伝説
宍粟市のエーガイヤ千種で「そうめんバッグ」作りに行ってました。
そうめんバッグと言っても茹でたそうめんで籠を編むということではありません。
播州そうめん揖保の糸の粉が入っていた丈夫な袋を再利用して作った手提げバッグです。
こんなの↓
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丈夫な紙袋で素敵な絵柄がついているのに、粉を出した後は捨てられるというのが勿体無くてバッグを作ることを考案されたそうです。
指導に従って作れば簡単にできました。(横の写真はボランティアさんが作った作品です。自分のは不細工…)
重たい粉が入っていた袋だけにしっかりしてて、組み立てるときに糊付けさえしっかりしていれば重たい物を入れても大丈夫そうです!
ちょっとしたお返しを入れるのにいいかも。
主催は「エコの実」さんと言って、生活から出るゴミの処理について考えられて活動されてるようです。
裂き織などもされているようですよ。

そして、行きにみつけたお店。帰りに寄って見ました。
友人の持っているコーンがしょうゆとジャガイモのアイス。
カップのが塩とトマトのアイス。
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ジャガイモをしょうゆで煮たのんと、塩かけトマトですなw
おかずの様な組み合わせですが凄くおいしかったです。
素材が活きてます。他にもぶどうやホワイトクリームなんていうのもありました。
きっとハズレはないでしょうから、行って食べてみてください!
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あいす工房 さなえ   兵庫県佐用郡佐用町西下野471-1


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by denpatu | 2010-07-25 12:48 | いろいろ見学

やっと梅雨があけそう?

梅雨があけたら、相生市内の探索をはじめるぞー!
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by denpatu | 2010-07-16 00:23 | ひとりごと
梅雨は植物の成長にとって大変重要なものですが、
人間にとっては食品が腐りやすいやら、洗濯物がかわかないとか、カビの心配やら、
気持ちも嫌になります。
この季節になると台所周辺に飛び回る、うっとうしい コバエ 。

ハエといえば「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読みますが、
昔は「うるさい」を「うるさし」と発音し、字は「右流左死」と書いたそうな。
昔、この字をあてたのは右大臣・菅原道真が大宰府に流され、無念の死を迎えた頃
京の左大臣・藤原時平が疫病で死んだ(呪い殺された)事に由来し、
右流・右大臣が流され 左死・左大臣が死んだと言う意味らしい。
この頃、京では菅原道真の怨念と左大臣の死がもっぱらの噂だったのでしょう。
まさに、どこにいってもこの話題で「うるさし!うるさし!」から「右流左死」の字になったのではと。
先日のビーバップハイヒール!の番組紹介でした~(汗

こちらは相生市若狭野町野々の天満神社(あじさい神社)の菅原道真を描いた版木の奉納額
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ところでコバエ駆除関係の市販薬品って効きます?
家では粘着系も薬剤系もスルーされて繁殖するばかり。
今年は市販品に頼らず、自作コバエほいほいを作ってみました。
これがもう本当にほいほい捕れて大成功!
では、自作方法をおすそ分け。
○要らない小瓶
○酢(甘酸っぱい匂いの方がなお良し)適量
○食器用液体中性洗剤 4滴ほど
○腐りかけのすももとか、ちょろっと残ったビール等
小瓶に材料を入れ、後はコバエがひっかかるのを待つだけ。
なかなか引っかからない時は、もう少し砂糖や甘酸っぱい匂いの物を入れてみる。
これで家はコバエが居なくなった。おためしあれ。


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by denpatu | 2010-07-12 22:20 | ひとりごと

国宝 鶴林寺

友人に国宝 鶴林寺につれていってもらいました。
「つるりんでら」じゃないよ。ふざけて言う時もあるけど。
国宝だけあって飛鳥や平安の仏像や建物が目白押し!
もっと予習して行けばよかったな~。
国宝太子堂の中ですすで汚れて見えなかった壁画が宝物殿で見られたり。
大学の専門的な研究によって再現された「九品来迎図」がお気に入りになりました。
どんな悪人でも死ぬ間際に、悔い改めて「南無阿弥陀仏」ととなえれば
とりあえず極楽へ行ける、フツーの人は天人が、生前物凄く良い人だった人は仏様じきじきに
お迎えに来てくれる。そして死ぬまで悔い改めなかった人には鬼の引く火の車で地獄へGO!
と、死ぬときには絶対改心せな損やでと言うことを教えてくれる図なのです。(解釈間違ってるな…)

宝物殿ではなぜか住職が聖徳太子像などをケースから出して撮影をされておりました。
普段は見られない後ろ側も見れてラッキーでした。
あいたたの観音様もかわいい!
住職から加古川にも和泉式部の伝説と供養塔があるよ。と教えてもらい有意義なお寺見学でした。
帰りに供養塔に寄ろうと思っていましたが加古川は入り組んだ場所も多いので見つけられず断念。
また今度です。

前から気になっていた、大きな黄緑色と栗の絵の和菓子屋さんについに入ることが出来ました!
栗まんじゅうが名物のようですが立体に負けました。
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by denpatu | 2010-07-09 00:44

八大龍王神さんのなう

先日、場所に心当たりがあった友人が八大龍王神さんの祀られている場所へ行ってみたそうです。
野瀬の公園の上のほうの山に登っていくと、八大龍王神さんの石碑は背の高い草に囲まれて見えなかったそうです。
八大龍王神さん、こういう時こそ「草刈に来てくれ~」と夢枕に立たなければ!
でも、八大龍王神さんは霊感のある人を探すのが苦手みたいやから
草刈の要望が叶うのは千年後かもしれない。(涙



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by denpatu | 2010-07-06 23:29 | ひとりごと

旅に出てました

旅に出てました。
と言っても友人に感化されて自転車で(壊れかけの空気の減った高校のときの。友人のは外車!)
目的地は近くだったので陽もかたむきかけてから出発。
相生市那波新田に伝説の祠を探しに。
この那波新田は“那波”と付くように那波の一部だったんです。
場所的には竜泉町の奥、東後明の横、西後明の後ろです。ややこしいですね(汗
相生湾にまで注いでいる苧谷川(おこくがわ)の源流に近いところあたりです。
8代将軍・吉宗(暴れん坊将軍w)時代に開墾された土地のようで、苧谷川の苧(からむし)という植物の
繊維で作った製品の生産をしていた歴史があります。それで苧谷川という川の名前がついたらしいです。
地図の黄色の道から右へ入る細い道のところから上辺りが那波新田です。

苧谷川を挟んで若狭野地区の東後明と那波地区の飛び地・那波新田。今は竜泉町に入っているようです。

さて自転車にまたがり、海に近くない那波へ!
犬に不審者進入と吠えられながら田んぼの横の道を奥へ奥へ。
村は小さいし、村の奥に小さな祠があると本に書いてあったのですぐに見つかると安易に思ってました。
が、それらしき物はなく、山の奥へつづく道は虫が出そうで引き返しました。失敗。
父の知り合いの人がこの村にいるらしいので、今度は聞いてもらって確認してから行ってみます。

この私的に魅惑の伝説の祠。
読んだ本によると、那波新田の神様は、もともと海に近い那波荒神社にまつられておられたようですが、
那波新田が出来たことによって那波荒神社から分祠されて、那波新田に祀られることになったそう。
ある時、何が理由か分かりませんが分祠されてきた神様を元居た那波の荒神社へ返そうということになり
那波新田の神様は元に返されたそうです。
そして幾らかたったある日、那波新田に住む男の人の夢の中に
「那波新田に帰りたい。」と那波新田に祀られていた神様が現われて涙を流して訴えたそうです。
そしてまた、神様は那波新田に迎えられたそうです。

このかわいらしい神様に会いたい!
できれば私の夢枕にも立って祠の場所を教えて頂きたい!



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by denpatu | 2010-07-02 14:34 | 相生市の伝説