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相生市は古代から栄えていたのだ!

by denpatu

相生の和泉式部と栗の木と小式部内侍

自分の生まれ育った相生市はIHI石川島播磨造船所で大正時代頃から急速に発展し、
初めての出身の大臣が誕生し、新幹線の駅も出来て、「未来!科学!発展!」で盛り上がってました。
そのせいか、両隣のたつの市や赤穂市(相生市も大昔は赤穂の一部でしたが)に比べて
歴史や文化が浅く、大人に聞いても「相生に昔話は無い!」と言われ、両隣の市がうらやましくて
しょうがなかった思い出があります。龍野は赤とんぼの歌、そうめん。赤穂は赤穂浪士、塩味饅頭。

しかし、相生にも色々と昔からの歴史や伝説はあったんですね!
周りの人は「未来!科学!発展!」にしか興味が無かったので知ってる人だけが知ってて次世代には
伝えていかなかったようで。
さかのぼれば古墳時代から、平安時代には貴族の荘園があったらしく京との行き来もあったりして
宿場町も大いに栄えていたそうで、自分の小学校時代の通学路が宿場町だったとは知りませんでした!
どおりで鄙びた人通りの少ない場所に店が並んでたわけです。

そんな風に栄えていた相生ですから、京から貴人がやってきてもおかしくないわけで。
その中に恋多き絶世の美女で天才の歌人、和泉式部も含まれていたわけです。
京でやむなく捨てた我が子と現在の相生市若狭野町で再会するというストーリーで
子供と再会するまでに雨宿りした栗の木の枝が柳の枝のように枝垂れるという不思議な出来事が
あったり、またその栗の木が現存していたりと、「歴史が無い相生」と教えられてきた自分にとって
とても感動的な伝説です。お話を詳しく知りたい方はここをクリック!


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by denpatu | 2010-04-07 14:16 | ひとりごと